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下町風俗資料館開館30周年記念特別展 11月28日(日)まで開催中
下町の庶民文化−明治・大正・昭和からのおくりもの−
丸浜晃彦

 30年を迎えた特別展は、明治・大正・昭和にわたる様ざまな収蔵資料を、「装う」「食べる」「住まう」「学ぶ」「遊ぶ」「つくる」「商う」に分け、さらに関東大震災と戦争の時代の資料を「暮らしを変えた出来事」として加えた8つのテーマで展示しました。そのいくつかを紹介します。

挿し櫛 昭和初期

[装う]
  昭和初期までは、庶民は和装が中心でした。普段、夏には単衣(ひとえ)冬には裏地がついた袷(あわせ)の和服を着、履物は下駄や草履が一般的でした。展示では、着物と履物、明治以降もその風習が残っていたお歯黒の道具、白粉や口紅などの化粧品、櫛、簪(かんざし)などの髪飾り、煙草入れなどの懐中物、バスケットなどの持ち物類、着物の仕立てに必要な針箱、明治時代のミシン、国民服など戦時下の衣類も展示しています。

水の江瀧子(ターキー)松竹座「らう゛ぱれいど」昭和7年

[芸能・娯楽]
 浅草は、古くから娯楽の町として賑わっていました。天保13〜14年(1842〜43)、今の銀座、日本橋付近から幕府公認の芝居三座が浅草猿若町に移転し、以後、江戸歌舞伎の拠点として明治初期まで興行は行われました。また、奥山と呼ばれた浅草観音堂裏手では見世物興行が盛んでした。浅草寺境内は明治初期に公園となり、明治16〜17年には7つに区画割りされ、6番目の区画「六区」には見世物小屋が移転しました。以後、六区は興行街として発展してゆきます。映画、浅草オペラ、松竹少女歌劇団(SKD)、喜劇、軽演劇、剣劇など次々と新しい娯楽が登場し、田谷力三やエノケン、ターキー、シミキン(清水金一)など多くのスターを生み出しました。これらの関連資料を展示しています。

榎本健一(エノケン)松竹座「用心棒」昭和7年

[つくる]
 下町には、大工職、指物師、下駄職、靴職、足袋職、錺師、塗師、左官職、桶職などいろいろな職人が住んでいました。職人が良い仕事をするためには、それに見合った道具が不可欠で、それぞれの職人が用途に応じた様ざまな道具をそろえていました。また一つひとつの道具を大切にし、使い勝手を良くするため、例えばコテ1本でも自分の手に合うよう柄の部分に自ら手を加えたりしたものでした。職人が使い込んできた道具と、それらを駆使してつくられた様ざまなものは、ひとの手による技術の確かさを今に伝えています。

[商う]
 商店には、金銭の計算をするための算盤、大切な印鑑をしまっておく印箱、掛け帳などの帳簿、簿記棒、銭桝など商売に欠かせない多くの道具があります。その商家の家訓が書かれている算盤入れ、ほかに、豆腐売りなど路地裏にもやってきた物売りの写真、暑気あたりの薬を売る定斎屋の箱などを展示しています。

[関東大震災]
 大正12年(1923)9月1日午前11時58分、関東一帯をマグニチュード7・9の大地震が襲いました。東京、横浜を中心に大きな被害を受け、東京での死者は約10万人、浅草区はほぼ全域が被災、下谷区は上野台より東側を中心に約47%が焼失しました。木造住宅が密集した下町地域では火災によって被害が拡大し、多くのひとが住む家を失って、上野公園や浅草寺境内には避難民があふれました。警視庁や東京市などによって食料や水の配給が行われ、またほどなく上野公園などにバラックが建設されました。多くの被災者がその仮設住宅での生活を余儀なくされたのです。

関東大震災上野公園から神田方面を見た焼け跡大正12年

 震災後、大規模な復興計画によって入りくんでいた道路は直線化と拡幅が図られ。また耐震性が高く、避難場所も兼ねた小学校、橋梁や公園が整備されるなど、下町の町並みは大きく様変わりしました。大震災被害と復興の様子を示す資料を展示しています

[戦争]
 昭和6年(1931)の満州事変以来、日本は戦火を拡大し、やがて太平洋戦争へと突き進みました。昭和13年には国民生活を戦時体制に組み込む国家総動員法が公布され、物資、物価、労働などあらゆる分野で、統制が強化されました。また町では10数軒を単位として組織された隣組が、防空訓練、物資の配給、出征兵士の歓送などにあたりました。生活物資は配給制度となり、食料をはじめ不足したものを代用品で間に合わせる耐乏生活を強いられました。昭和20年3月10日には下町一帯が大空襲に見舞われ、一夜にして約10万人の生命が奪われました。

防空訓練の様子(現北上野)昭和17年頃

 終戦後、復興は焼け跡から始まりました。連合国による占領下、食料や物資は不足していましたが、戦時中に廃止、禁止されていたスポーツやダンスホールなどが次第に復活してゆきました。戦時下と戦後数年間の資料を展示しています。

(まるはま あきひこ・下町風俗資料館専門員)

 


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